Omar Sharif's Life in Bridge

 1982年刊行、1983年にTerence Reeseが英語訳したとあります。
俳優として活躍していた頃から、どうやってブリッジを覚えたかそしてエキスパートになった後のイタリアブルーチームとの出会いと世界のエキスパートとの対戦、印象深井ハンドなど興味深くつづられています。
 全体で3部構成となっていて
第1部 Early Days in Egypt
第2部 I Become a Player
第3部 Hands I Remember
となっています。(全体で146ページ)
少し紹介します。

第3章 ブリッジ覚えたての頃の逸話
 アレキサンドリアでフィルム撮影をしていた頃、夜になるとしばしばカードルームに行って、初心者らしくじっと観戦していた。(一応ゴーレンの本を読んでブリッジを分かったつもりにはなっていた)
 ある時、年いった紳士が「プレイしませんか」と誘ってくれたので、「Oh yes」と答えて初めてのブリッジがはじまった。その2番目のハンド。ディフェンダーのとき、ディクレアラーがAを出してきた。私はそれをラフ。パートナーは驚いて「は持ってないんですか?」「いや、持っています。でも私はラフしたほうがいいと思いました」と私。。他の3人が目を合わせた。「スートをフォローできるときは切り札を出してはいけないんです。。」なぜそうなのかについては教えてくれなかった。。。
 私はゴーレンの本を間違って理解していたことに気づいて、最初から勉強しなおした。(爆)
 初心者にはだれでもある基本的な過ちを赤裸々に告白していておもしろいですね^^

第10章 アメリカACEチームとの戦い
 イタリアブルーチーム+シャリフvsアメリカACEの試合でのBelladonnaの素晴らしいプレイが紹介されています。
7652 7652
K62 K62
J63
KQ3
KJ94 83 KJ9
QJ54 T8 QJ54
T4 52
T52 AJ98764
AQT AQ
A973 A973
AKQ987 8
上左図で、双方のテーブルでEastが4でプリエンプティブオープン、いずれも6となった。アメリカチームのGoldmanは極めて普通に(リーズナブルに)をフィネスし、で2トリック取られた。これに対し、Belladonnaは、WestがKとも長いと仮定した。しかし、10トリックしかない。さて。。
リードをラフし、マスターTを捨てた後、を走って右上図に持っていった。最後ののとき、Westは困った。を捨てればA,Qとされてダミーの2枚が生きる。を捨てると今度はA,K,ローとされてAQに向けてをリードさせられてしまう。少しして、アイゼンバーグが降参。観衆の拍手かっさいとなった。すごいですね^^

第19章 Omar Sharifのすばらしいプレイ
 North(Paul Chemla)
  AQJT876
  82
  Q6
  AK
 South(Omar Sharif)
  K95
  AK95
  AT
  J962
 7NTbySouth OL:2
見た目12トリックしかない。13トリック目の可能性は?方法はいくつかある。
@EastがQ、WestがKを持っていればダブルスクイズ。
AEastに対するマイナースートでのシンプルスクイズ
すべての可能性を残すために、私はすぐにを6枚走った。ハンドからはTを捨てた。この間Eastはをあっさり捨ててきて、Westは苦吟しながらを捨ててきた。Eastがをガードし、Westはマイナースートをガードしていそうである。そこで、プランを変更しWestをマイナースートでスクイズにかけるプランを立てなければいけなくなった。そこで、A,Kをキャッシュしでダミーにわたった。この段階で、全体のハンドは下左図のようになっている。
T AQJT876
82
Q6 Q6
A AK
42 3
QT J63 QT74
K9 J K973 J8542
QT 8 QT72 853
K95
9 AK95
A AT
J9 J964
最後のTにハンドから9を捨てると、Eastが困ってしまった。最後はクリスクロススクイズにEastがかかった。
見事ですね^^

この他第15章では伝説的なRixi Markusという女性プレイヤーのすごさが描かれていたりします(Garozzoもかなわなかったという。。)



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