The Bridge Bum (My Life & Play)

アメリカの世界的エキスパート、Alan Sontagの自伝的エッセイです^^
ブリッジをいつごろどのように覚えたかから世界のトッププレーヤーとの対戦など、体験した様々なできごとが綴られています。
全体構成は
第1章 1975年チャレンジマッチ
 イタリアブルーチームvsアメリカチーム(Weichel,
 Matt Granovetta,Ron Rubin,Sontag):勝利
第2章 1970年 ワールドミックストペアチャンピオンシップ
第3章〜第5章 1976年 Cavendish Invitational:優勝
第6章 ブリッジとの出会い
第7章 ブリッジプロの生活、信条など
第8章 1973年 London Sunday Times Invitational :優勝
第9章 世界戦でのいかさま(cheating)の歴史
第10章 忘れられないハンド(Bermuda Bowl進出できず)
第11章 初心者と組んだハスラーとの対決
第12章 C.C.Wei Precision Clubシステムとチーム
第13章 地方の一女性の呼びかけによるドリームチーム
第14章 1973年インターナショナルブリッジフェスティバル
 での出来事(Belladonna,Garozzoとの出会い、Weichelの
 事故など)
第15章 1983年 Bermuda Bowl
 イタリアブルーチームとの対戦:優勝
となっていて、いずれも興味深いです。
少し紹介します。

第4章 「Cavendish Invitational」より
第2セッション
A6 ビッド
W  N  E  S
1D P  2D 4H
all Pass

W:Howard Schenken
N:Weichsel
E:Bee Schenken
S:Sontag
T32
8743
JT53
J843 KT9
5 J96
AK52 JT96
A964 Q72
Q752
AKQ874
Q
K8
 私が一気の4をビッドしたのは、強いスートでWeichselの助けをあまり必要としなかったこと、Schenkenがしばしば13hcp未満でオープンすること、2が弱いことである。
T1:A−3−6−Q
T2:5−4−T−4
SchenkenがKを隠したのは、HCPの配置を私にミスゲスさせようとする作戦だ。ここで考える。すでにで1敗。あと少なくともでそれぞれ1敗。それ以上負けるわけにはいかない。
ビッドからのブレークは4−3と考えた。でなければ、どちらかがをビッドしたにちがいないから。そしてまた、4枚はWastであることも想像できた。もしEastが4枚なら、1に1とレスポンスしたであろうから。もしKがWestだと、結局QもKに取られるのでを2回ダミーでラフしなければならないが、そうするとの長さが予測されるEastにオーバーラフされる危険が高い。そこで、ここではEastがKを持っていることを期待してプレイすることにした。ダミーでのラフは1回で済むから。ただ、手順には注意が必要である。ダミーへのエントリーが少ないからである。また、どこかの段階でダミーからをリードしてAとQの位置をゲスしなければならないが、ビッドとEastがKを持っているという想定からAはWest、QはEastと考えた。
 「ここで、Sontagはキーとなるプレイをした。ワールドクラスのプレーヤーのみが発見できる手順だ!」とAlan TruscottはTimes誌上で解説した。「Sontagは、ここでをダックしてEastに勝たせたのだ」
 Eastから何が返ってきても私は完全にコントロールできる体勢になっている。
T4:6−A−5−2
T5:5−4−A−T
T6:J−2−8−A
T7:2−7−J−7
T8:7−8−T−K
この後切り札を集めてジャストメーク。Weichselにウィンク。
3順目、もし先にA、アナザーとやっていたら、EastはKで勝ってを出してきただろう。これを私はラフできるが、次のをAで勝ったWestはを続けてきて、ダミーでラフしてもEastにオーバーラフされてしまうのだ。
「1971年頃にはこんなにうまくプレイできなかったでよね」とSchenken。

第6章 「ブリッジとの出会い」より
 「良いカードプレイヤーになることは、良いビッダーになることよりもずっと難しい。しかし、ブリッジにおけるビッドはより重要なのである。パートナーシップの結果は80%がビッドで決まる。リーズナブルなビッダーになるにはだいたい2年くらいだが、良いカードプレイヤーになるには10年あるいは永遠にかかる。ビッドはパートナーとの言葉であり、会話である。トップレベルでの競技は基本的にビッディングで決まる。」
→含蓄のある文章で^^

第8章 「サンデータイムズインビテーショナル」より
AT654 W  N  E  S
         1NT
P  2H P  2S
all Pass

W:Altman
N:Chodzeisner
E:Sontag
S:Von Dewitz

OL:6
Q4
97
KJ94
732 Q98
K9762 AT
AJ86 T432
6 QT32
KJ
J853
KQ5
A875
T1:6−4−T−A
T2:K−3−4−8
T3:J−2−5−Q
Westのトランプエコー(3−2)でもう1枚を持っているのが分かったので、私は3をリード
T4:3−5−7−9
T5:6−7−T−Q
私の狙いはQで勝つことである。
T6:3−K−4−T
T7:2−Q−A−5
T7:2−K−A−9
ここでWestはJをリターンして、Northにラフを余儀なくさせた。
      N S:AT
        H
        D
        C:KJ
  W S       E S:8
    H:976     H
    D:8       D:3
    C         C:Q2
      S S
        H:J8
        D
        C:75
こうなって、NSはハンドに戻れなくなり、私のQが取れて1ダウンとなった。このようなハンドがあるからブリッジは魅力的だ。単なるパートスコアだけれど、グランドスラムを作るよりエネルギーが必要となる。

第15章 「1983年バーミューダボウル」より
 173ボード終わってアメリカ2IMPリード。
 174ボード イタリア6メーク(アメリカ4)8IMP差。逆転
 175ボード イタリア61ダウン アメリカ5メーク 3IMP差
  再び逆転
 そして176ボード
AJ65
K9
A62
AQ85
K9 Q8743
J8762 T543
J743 K
K7 JT4
T2
AQ
QT985
9632
オークション
オープンルーム
W     N     E     S
Garozzo  Weichel   Belladonna Sontag
Pass    1C     Pass    2D
Pass    2H     Pass    3C
Pass    3D     Pass    3NT
all pass
クローズドルーム
W     N     E     S
Hamman  Masca   Wolff    Lauria
Pass    1C     Pass    1NT
Pass    2C     Pass    2D
Pass    2S     Pass    2NT
Pass    3NT     all Pass
クローズドルームでは、危険なリードを受けてLauriaは、Aを取ってフィネスという正確なプレイで9トリック取った。
オープンルームで、私は1オープンに対して1でなくアグレッシブな2レスポンスをすることにした。のスポットがよかったこと、のテナス、それからわれわれのシステムがミニマム5422のハンドパターンを示せるという理由から。
OLはやはり同じくAを取って、JでGarozzoのQに負ける。が返ってくる。そこでを走る。Belladonnaは途中でJをディスカードし、Kを持っているように見せ、わたしにQでのフィネスを考え直させようとした。しかし、現実にはわたしには他に選択肢がなかった。フィネスが通って2トリックオーバートリックとなり、2IMPこのボードで獲得。結果はトータル5IMPでわがチームが優勝した。このレベルでの勝利は初めてなので感激。

といった感じです^^



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