2003年刊行。252ページ。
1950年の第1回から1997年の第33回まで、世界のトップチームの死闘が、様々な出来事、エピソードとともに描かれていて、とても興味深かったです。草創期から、イタリアのブリーチームの君臨、アメリカの君臨、他の国の勝利への道、歴史を感じさせられました。
各年の試合が、8ページごとにまとめられています。
1950年の第1回は、バーミューダで、アメリカ、イングランド、ヨーロッパ(スウェーデンとアイスランドの混合)の3チームで4日間にわたって競われ、アメリカが優勝しました。
1951年の第2回は、アメリカ対イタリア(ヨーロッパ代表)で争われ、アメリカの勝利。
(1)このときからIMPスコアリング方式が採用
(2)イタリアが複雑なコンベンションを使ったためファースト
セッションは朝4時半までかかった。
(3)イタリアの代表としてPietro Forquetが25歳で初参加
などが特筆すべき点です。
また、この時代、やたらサイキックが多く、紹介されています。
Crawford
753
652
T53
T965
このハンドで1オープン。イタリアチーム3NTに止まり
7NTをのがす。
Stayman
JT
T942
Q974
T42
このハンドで1オープン。パートナーのSchenkenが3
とレイズ。ダブルをかけられ、6ダウンは△1100(ノンバル)。
などです^^
1965年の第13回は、イタリアが7年連続優勝した年ですが、グレートブリテン代表のReeseとScapiroが指でシグナルを送ったのではないかとアメリカからクレームを付けられるという事件がありました。
1970年の第17回は、10連勝したイタリアチームがセミリタイアした年で、逆にアメリカのダラスエースが結成されて2年目の年。アメリカが久しぶりの優勝を飾りました。
決勝戦はアメリカ対台湾、その一ボードを。
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ビッド W N E S P P 1H 1S 2H 2S 4H N:Hamman S:Lawrence (台湾は3H) OL: ![]() |
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台湾のプレイは、Kこれはホールド。2順目の
Qを
Aで勝って、トランプ
を4回回す。7順目
A,
Q。これが
Kに負ける。あと
で2敗してジャスト3メークは140点。
これに対して、Hammanのプレイは、K,Qまでは同じでしたが、3順目、ハンド(North)から
7を出しました。Eastがローを出したとき、コントラクトはメークとなったのです!
Tで勝ったWestは
を返しましたが、ダミーの
Qで勝ってトランプを集めて
Kで10トリックです。Westが何を返しても
のエスタブリッシュが間に合うようになっています。Eastが
Aであがって
を返すと今度は
の3枚目がエスタブリッシュすることになります。おもしろいですね。そしてHammanの鋭さに脱帽ということで。。
1974年の第20回はカムバックしてきたイタリアブルーチームがアメリカのダラスエースチームを2年連続で破った年です。激しい戦いが繰り広げられ僅差でイタリアが勝利。
そのラスト2つ前の94ボード目が紹介されています。
None Vul.Dealer East
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アメリカチーム:3NT
West North East South
Forquet Murray Bianchi Kehela
Pass Pass
Pass 1H Pass 1S
Pass 2C Pass 2NT
Pass 3NT All Pass
イタリアチーム:4
West North East South
Wolff Belladonna Hamman Garozzo
Pass Pass
Pass 1H Pass 1S
Pass 2C Pass 2D
Pass 2S Pass 3H
Pass 4H All Pass
まず、アメリカチームのゲームから
ForquetのOLは3。Eastが
Aで勝って
リターン、
Jが勝つ。3順目の
をKehelaは
Kで勝ってダミーからは
をピッチ。4順目
Qを流してフィネス。これは勝つ。5順目の
TをEastが
Kで勝って4枚目の
を取る。7順目
がJ-A。その後Kehelaは
を3つ取る。このときEastのBianchiは正しく
を捨てて
を守ったので1ダウン。もし彼が
を捨てていればWestのForquetが
と
でスクイズにかかっていた。 Kehelaは3順目の
を勝ったあと、ダミーの
KQを取って
をQに向けて出すという方法を取ることもできた。このとき、Eastがダックすれば、
Q、
Aと取って
でBianchiにスローインされてしまってコントラクトはメーク。したがって、4順目のときは
Kであがってすぐに
にシフトしてエントリーをつぶしておく必要がある。
次に、イタリアチームのプレイから
HammanのOLは、A、アナザー
。ベストディフェンスで、ダミーの
を取るエントリーを無くすと同時に
でのパンピングも狙っている。3順目の
Qをダックし、続く
Tを
Kで取ってHammanは
を出す。Belladonnaはラフせざるを得ない。その後
を刈りにいくと4−2ブレーク。やむなく4回目で刈り上げて、8順目
を9に向けて出す。これを
Jで勝ったWolffは
の4枚目を取って1ダウンを確定させて
にシフト。Belladonnaは
Qで勝って、
Kを
Aでオーバーテークして、
Tをフィネスしてようやく1ダウン。
結果はプッシュ!
このボードを見るだけで、どれだけ激しい戦いが繰り広げられたかお分かりと思うと書いてあります。深くておもしろいいですね。。
1981年の第25回は、USAがパキスタンを破って優勝しましたが、パキスタンチームの突然の登場と活躍にはみなさぞかし驚いたことでしょう。Zia Mahmoodの世界へのデビューとなったのでしょうか。とにかく激しいたたかいで、一番激しいビッド合戦だったように見えました。
AK
AQ
J9
AKT9642
J9852
T3
854
973
K4
Q87632
J53
Q8
Q764
KJT62
AT5
7
NSバルのこのハンド、いずれも2オープンから始まって、USAチームは7
をビッド、メーク。パキスタンも7
をビッドしたものの、Westのメクストロスがなんと突然7
をビッド。ダブルが入って9ダウンの△1700.でUSAに11impが入ったとあります。パキスタンチームはその次のボード、すぐお返しをします。
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ビッド North South Munir Fazili 1H 2D 4C 4H 5C 6C 7D 。。゛(ノ><)ノ ヒィ (USAは1 ![]() ![]() −3 ![]() ![]() |
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Acolスタイルがパキスタンチームにアドバンテージを与えました。2レスポンスでやる気を出したNorthが4
のスプリンターからスラムトライ。6
を聞いて、NorthのMunirは、6
は45%。しかし、
のOLが来た場合、6
も7
も結局は
フィネスが成功するかにかかっている。つまり6
がメークするときは7
もメークする。そう考えて7
をビッド。見事メーク^^
この他、3NTリダブルメーク(USA)、ダウンさせれば△2200の20impがパキスタンに入るところだった有名なハンドなど、いたるところ「勝負」色が最も強かったです^^
1985年の第27回では、準決勝でのUSAとブラジルの激闘(これも感動ものです)が見どころでページが割かれています。優勝はUSA。
1989年のオーストラリア、パースでの第29回大会からは、スポンサーがつくことになって、日本のNECがスポンサーになったこのが記述されています^^
優勝はブラジル。
1991年の30回大会は日本の横浜で開催されたとその模様が描かれています。優勝はアイスランドでした。
この他、いろいろな本で取り上げられている有名なハンドもたくさん出てきて、おもしろかったです^^
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