1994年刊行。314ページ。
世界の第一人者の一人ボブ・ハマンの自叙伝です。
生まれ育ちから、どういうきかっけでブリッジを覚えたか、世界の舞台に出て行く状況、ACEチームの結成、バーミューダボウルでのイタリアとの死闘、その後1994年までの状況について述べられています。
ハマンのすごさと同時に、ハマンの数々の敗北、苦労も描かれていて、興味深かったです。
全体構成は
第1章 Go on to the next hand
1990年スピンゴールド。メックウェルとの戦い
第2章 Emperor of the 2-cent game
ブリッジを覚えたきっかけ
第3章 A thumb in the eye
ナショナルへの挑戦
第4章 Trials znd tribulations
スピンゴールドへの挑戦
第5章 Escape from New York
1964年オリンピアードへの挑戦
第6章 Fired up and burned out
Matheとのペア
第7章 The promoter
ACE結成の歴史
第8章 Moose
コーチMooseについて
第9章 The juggernaut
ACEの成果。全米代表に
第10章 Vindication
1970年バーミューダボウル優勝
第11章 Winds of change
1971年2勝目。パートナーシップの変化
第12章 Nemesis
1972〜1974年。イタリアに連敗
第13章 On the verge of scandal
1975年バーミューダボウル前編
第14章 Scandal
1975年バーミューダボウル後編
第15章 Redemption
1977年の勝利
第16章 Valleys
1980年オリンピアードでのフランスとの戦い、敗北。
第17章 Peaks
1983年。Ira Cornの死。イタリアを破る
第18章 Close calls
1985年の勝利
第19章 Sure things
1987年対イギリスフォーシングパスシステム。結婚
第20章 A competitive game
となっています。
中からいくつか紹介します。
第2章「きっかけ」から
ハマンは、1938年8月6日、カリフォルニア州パサデナで産まれたとのことです。中産階層で、4人兄弟の長男だそうです。9歳でチェスを覚えすっとのめりこみました。ブリッジに接したのは1957年ですから19歳の頃のようです。その後UCLAに入るものの学業はほっぽりだして連日賭けブリッジの毎日を過ごしていたようです。
第3章「最初のナショナル」から
ナショナルの試合に挑戦したのは、ブリッジを覚えて3年目だそうです。そのときのプレイを。
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ビッド Westのパスから N S(ハマン) 1NT 2C 2S 4S |
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Westはトップを2枚取ってEastの
3枚のシグナルを見て
Jにシフト。Westの
の出し方から、
AKQを持っていそうだ。Westはパスハンドなので
Aは持っていそうにない。ということはダミーの
Kでフィネスするのは成功しそうにない。何か他の手段を考える必要がある。そこでどうしたか。
Jをダミーの
Qで勝って、
をラフ。ハンドの
をA1枚だけ取って
を4枚取る。ラッキーにもWestは4回フォロー。ダミーからは
を2枚捨てる。残り4枚で次のようなポジションに運んだ。
65
J
K
9
Q
52
AQT3
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K
J96
ここでダミーのKに向けてリード。Eastは
Aで勝ったものの窮した。Eastが
Qを出せばダミーでラフして
Kでハンドに戻って
Jを取る。Eastが
Qでなくロー
であれば
Jでダミーの
を捨てて
Kでトランプを刈り上げる。ダミーの最後の
5が10トリック目となる。4メーク。
どうでしょう。ブリッジ覚えて3年目のナショナルでのこのプレイ。すごいですね^^
第6章「勝利の秘訣」から
ここでは、ハマンは、次のように述べています。
ブリッジに勝つためには良い習慣をつけることです。その習慣とは、まず、終わったボードのことではなく、次のボードのことのみを考えることです。そしてまたパートナーに対してすべきこともシンプルです。終わったボードのことを決して話さないこと。もしパートナーが「君も同じやり方でプレイした?」と聞いてきたら、「考えてなかった。エネルギーをセーブしよう。後で考えることにして、このボードに全力を尽くそう。」と答えなさい。この考え方は、他のところでも出てくるハマンの基本のようです^^
第8章「チームACEについて」から
ACEチーム内では、おかしてはならない7つの失敗として次の項目がチェックポイントとしてあげられ、ハンドを分析するに当たってだれがどの失敗をしたか、責任の所在がが明らかにされていたそうです。
1.bidding without Values
2.System violations
3.Unilateral actions(勝手な行動)
4.No-win declarer play
5.No-win defensive play
6.Impulsive plays
7.Mechanical errors(pulling the wrongcard,revokeingなど)
また、この章でハマンは、ブリッジでゲームビッドをすることの重要性を強調しています。3NTをビッドすることによって、ディフェンダーにかなりのプレッシャーをかけることになること、また落ちる3NTを作らせた場合に受けるダメージが大きいことなどを強調しています。
第9章「ACEの成果」から
1969年スピンゴールド決勝戦から
Dealer North NS VUL |
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一方のテーブル
West North East South
(味方) (オポ) (味方) (オポ)
1P P 1NT
P 2NT All Pass
OLはK。2順目
Jにスイッチ。これをダミーの
Kで勝って、オポは
を負けに来た。このプレイミスをとらえて、Westは
A,Tとプレイして
Qを追い出し、オポが9トリック取る前に7トリック取った(
3、
2、
1)
他方、われわれのテーブル
West North East South
(Rubin) (Lawrence) (Westheimer) (Me)
1P P 1NT
2P 2
P
P 2NT All Pass
OLはJ。私はダミーの
Kで勝つ。ここで、
より
を開発することにする。その際、Rubinはおそらく
Aを持っているであろうことと、
と
で9枚以上持っていると言っていることからしてWestの
は短いと想定できる。
そこで、ハンドにで入って、ハンドからダミーの
Kに向けてリードする。Westは
Aで取って私の
Qを追い出しに来た。しかし、先に8トリック取ることができた。
6impの得点ではあるが、こういうミドルサイズの得点の積み重ねがスラムスイングと同様の効果を生むのだ。これがACEの戦略でもある。
ふむ〜。ビッド、ダミープレイ、ディフェンス全くそつがないことがよく分かります^^
チームメンバーの平均年齢も30歳くらいと、この頃台頭してきた若手の勢いが感じられます。
第12章で述べられている印象的な語録を記述いsておきます。
○Corn(ACEの創設者兼スポンサー)は、パートナーシップの取れた二流プレイヤーは、パートナーシップの取れていない一流プレイヤーにまさると確信していた。
○最もレベルの高い試合ですら、ブリッジはエラーのゲームである。
○イタリアに負けたのはパートスコアでの競り合いである。イタリアの判断のほうが優れていたのである。
すべての記述が興味つきなかったです^^負けた場面も結構記述されていて、敗北を糧にさらに飛躍して行った内面が赤裸々に描かれています。
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